ピアノを習うのは、本来は楽しいはずのことです。けれど「レッスンに行くのが怖かった」という声を、今の生徒からはほとんど聞かないのに、少し上の世代の方に聞くと、意外なほどすんなり出てくることがあります。
私自身、以前は音楽教室のスタッフとして現場に立っていましたが、そこで出会う保護者や先生たちから、親世代・祖父母世代の「ピアノの先生」にまつわる思い出話を聞く機会が何度かありました。楽しかった思い出だけでなく、今の感覚で聞くと驚いてしまうようなエピソードも、決して珍しいものではありませんでした。
今回は、実際に昭和の時代にピアノを習っていた方たちや、その周辺の方から聞いた体験をもとに、当時のレッスンで何が起きていたのかをまとめました。あくまで複数の方から共通して聞かれた話を組み合わせたものであり、特定の教室や先生を指すものではないことを先にお伝えしておきます。今のピアノ教室の話ではなく、あくまで「そういう時代があった」という記録として読んでいただければと思います。
ピアノのレッスンなのに「怖い」が当たり前だった時代

今、子どもがピアノの先生に手を上げられたと知ったら、多くの保護者はすぐに教室を変えることを考えるはずです。ですが昭和の時代は違いました。「厳しい指導」と「体罰」の境目があいまいで、多少痛い思いをするのも練習のうちだと受け止められていた空気があったようです。
当時ピアノを習っていた方に話を聞くと、レッスンの時間そのものが緊張の連続だったと振り返る人が少なくありません。楽しく弾けた記憶よりも先に「怒られないように」という気持ちが先に立っていた、という声も聞かれました。
家庭でも「先生に叱られるくらいなら、家でしっかり練習しなさい」と言われるのが普通だった時代です。子どもの側から「怖い」と訴えても、大人がそれを深刻に受け止めず、練習不足のほうを責められてしまう、という構図もあったようです。先生と生徒だけでなく、家庭も含めた周囲全体が「厳しさは仕方のないもの」という前提で動いていたことが、当時の空気をより息苦しいものにしていたのかもしれません。
薬指にひも・楽譜の角・蹴られた椅子 語り継がれるピアノ指導法の数々
具体的にどんなことがあったのか、実際に聞いた話をいくつか紹介します。
薬指がうまく独立して動かせない生徒に対して、寝る前に薬指を糸で天井から吊るすよう指示された、という話がありました。医学的な裏付けのある方法ではなく、あくまで精神論に近い指導だったようです。
楽譜を開く角度やページのめくり方を間違えると、楽譜の角で思いっきり頭を叩かれる、という話も複数の方から聞きました。本人たちは「そういうものだと思っていた」と話しており、当時は疑問に感じることすら少なかったようです。
中には、ハイヒールのかかとでふくらはぎを蹴られてあざができた、座っていた椅子ごと勢いよく蹴られて壁まで飛んでぶつかった、という体験を話してくれた方もいました。今の感覚で聞けば驚くような内容ですが、当時は「厳しい先生に習っている」という一種の誇らしさすら伴っていたと語る人もいます。
また、指の形が崩れるたびに手の甲を鉛筆で小突かれた、姿勢が悪いと言われて長時間正座のままレッスンを受けさせられた、といった話も耳にしました。どれも一つひとつは「そんなことがあったのか」程度の話に聞こえるかもしれませんが、積み重なると子どもにとってはレッスンそのものが恐怖の時間になっていたことがうかがえます。
こうした話は、ネット上で見つかった声の中にも少なからず見受けられ、特定の一人だけの特殊な体験ではなく、当時のレッスンで一定の広がりを持って存在していた指導のスタイルだったことがうかがえます。世代や地域を問わず似たような話が出てくるということ自体が、これが個人の資質だけの問題ではなかったことを示しているようにも思えます。
なぜピアノ教室の「体罰」が「厳しい指導」として許されていたのか

学校教育の世界に目を向けると、教員による体罰は学校教育法第11条で古くから禁止されてきました。それでも罰則規定が明確でなかったこともあり、体罰が根絶されなかった歴史があります。大阪の高校で起きた自死事件が大きな転機になったと言われていますが、それでも学校での体罰報道は今なお続いています。
ピアノのレッスンは、この学校教育以上に外の目が届きにくい環境でした。先生と生徒が一対一で向き合う個人レッスンという形式そのものが、指導の中身を第三者がチェックする機会をほとんど持たなかったのです。保護者が同席していたとしても、その場では先生の言葉を信じるしかなかった、という声もあります。
加えて、当時は「先生」という肩書きそのものへの信頼が今よりずっと厚く、多少厳しい指導を受けても、それを疑うよりも先に自分の努力不足を責めてしまう空気があったようです。学校のように複数の教師の目や保護者会といった仕組みがあるわけでもなく、月謝を払って通う個人宅の一室で、先生と生徒が一対一で完結してしまう。この閉じた構造こそが、外からは見えにくい実態を積み重ねやすくしていたのではないでしょうか。「ピアノ教室業界で保護者だけが真実を知らされてこなかった理由」でも触れたとおり、閉じた関係の中では、外から見えない実態が積み重なりやすい構造が今も形を変えて残っている部分があります。
「厳しかったピアノの先生ほど評価される」というねじれ
さらに気になるのが、当時厳しい指導、時には体罰に近いことをしていた先生ほど、後になって「名物先生」「実力を伸ばしてくれる先生」として語られるケースがあるという声も聞かれることです。生徒がコンクールで結果を出すと、その厳しさが「愛のムチ」として肯定的に語り直されてしまう、という構造があるようです。
音楽教育の世界では、コンクールでの実績や輩出した生徒の活躍そのものが、先生の評価の大部分を占めやすい傾向があります。教則本の出版や、大手音楽教室グループとのつながりが実績として語られることもありますが、そこに至るまでの指導の中身が検証されることはほとんどありません。結果さえ伴えば、過程は問われにくい。この構図が、厳しさと体罰の境界をあいまいにし続けてきた一因なのかもしれません。
もちろん、厳しい指導そのものが悪いわけではありません。ただ、結果が出たことと、その過程で行われたことが適切だったかどうかは、本来別の話のはずです。この二つが混同されたまま語られ続けているところに、当時から続くねじれのようなものを感じます。
生徒が大きくなってから「あの厳しさのおかげで今の自分がある」と語ることは確かにあります。ただ、それは結果的にそう思えた人の声であって、途中で心が折れてピアノ自体を嫌いになってしまった人の声は、表に出にくいという側面も忘れてはいけません。うまくいった一部の声だけが後年語り継がれ、うまくいかなかった大多数の声は静かに消えていく。そうした偏りが、「厳しい先生ほど評価される」という印象をより強めてしまっている面もあるのかもしれません。
ある調査では、今の保護者世代が子どもだった頃に人気だった習い事の1位はピアノで、6割を超える女性が経験していたというデータがあります。一方、今の子どもの習い事ランキングでは、ピアノは水泳や学習塾に次ぐ2〜3位あたりに位置することが多くなっています。かつて習い事の代名詞だったピアノの人気に少しずつ陰りが見え始めた背景に、こうした体罰まがいの指導の記憶が影響している部分もあるのではないか。これはあくまで推測ですが、そう考えてみると、当時の「厳しさ」が結果的に多くの子どもをピアノから遠ざけてしまった可能性も否定できないように思います。
ピアノレッスンの厳しさと体罰、その境界線は今どこにあるか

今のピアノ教室では、さすがに昭和のような話はほとんど聞かれなくなりました。それでも「厳しく指導してもらいたい」という保護者の要望自体は今も一定数あり、その熱量が行き過ぎたときに何が起きるかは、昔の話として片づけてよいものではないのかもしれません。
子どもがレッスンについて話したがらない、行く前になると表情が曇る、そうした小さな変化に気づいたときは、「先生のこと嫌い?」と直接聞くよりも、「レッスンで難しかったことは何?」とさりげなく聞いてみると、思いがけない答えが返ってくることがあります。厳しさと理不尽さの境目を見極める手がかりは、案外そんな会話の中にあるのかもしれません。
出典:
- 学校教育法第11条(体罰禁止規定)
- 大阪市立桜宮高等学校バスケットボール部の指導事案に関する報道(内田良氏コメント、現代ビジネス ほか)
- マイナビニュース「子供の頃にやっていた習い事」アンケート(保護者世代のピアノ経験率について)
- 元生徒・その周辺関係者への聞き取り(複数の証言をもとに匿名化・再構成)