ロシアと聞いて、ピアノを思い浮かべる人はそう多くないかもしれません。でも音楽の世界ではロシアは別格の存在です。ラフマニノフ、スクリャービン、リヒテル、ギレリス——20世紀を代表するピアニストの名前を辿ると、驚くほど多くがロシア出身です。
なぜロシアはこれほど多くの演奏家を生み出してきたのか。その背景には、日本とはまったく異なる音楽教育の仕組みと、波乱に富んだピアノの歴史があります。今回はロシアのピアノ教室事情を調査し、韓国・中国に続く第3回として整理してみました。
「一都市に音楽学校が90校 ロシアのスケール感を知る」
まず数字で規模感を確認しておきます。
サンクトペテルブルクという一都市だけで、音楽学校が30以上、美術学校が20以上、音楽・美術・工芸などを扱う芸術学校が30以上あり、合計すると約90校が存在するといいます( Wikipedia「ロシアの教育」)。日本の政令指定都市に音楽専門の学校がこれだけ集中していることはまずありえません。
ロシア全土に広げると、その数はさらに膨大になります。日本のピアノ教室は民間の個人教室や大手楽器店の教室が中心ですが、ロシアでは国立の音楽学校が全国の都市・地区単位に整備されており、しかもその多くが国からの補助を受けて運営されています。ソ連時代はほぼ無料だったといい、その名残で現在も授業料は「中流家庭でも十分に払える額」とされています。
この規模と公的関与の厚さが、ロシアの音楽教育の土台を支えています。
「”第2の学校”という仕組み 日本の習い事とはまったく違う構造」
ロシアの子どもたちが音楽を学ぶ仕組みは、日本とは根本的に異なります。
日本では学校の音楽の授業がある上に、習い事としてピアノ教室に通うスタイルが一般的です。ところがロシアでは、一般の学校に音楽の授業がありません。その代わりに、普通学校に通いながら放課後に音楽・美術・バレエなどを専門に学ぶ「第2の学校」(子ども芸術学校)に通う子どもが多くいます。
この「第2の学校」の内容が、日本の習い事とはまったくの別物です。あるモスクワの子ども音楽学校の例では、週2回の個人レッスンに加えて、アンサンブル・ソルフェージュ・合唱・音楽史なども授業に含まれ、月〜土曜日のほぼ毎日、放課後に通うスケジュールが組まれているといいます。自宅での練習も毎日1時間以上が当たり前とされており、これはピアノ教室に週1〜2回通う日本の感覚とはかなり違います。
「習い事として気軽に通う場所」ではなく「本格的に一つの分野を掘り下げる第2の学校」——この捉え方の違いが、ロシアと日本の音楽教育の最大の違いかもしれません。
また興味深いのは、ロシアでは日本のような「いろんな習い事を週ごとにはしごする」スタイルがほとんど見られない点です。ロシアの子どもたちは音楽なら音楽、スポーツならスポーツと、一つの分野に集中して取り組む文化があるといいます。
「ラフマニノフからリヒテルまで 150年の師弟の系譜」
ロシアの音楽教育の中核をなしてきたのが、1866年に創設されたモスクワ音楽院です。パリ音楽院、ジュリアード音楽院と並ぶ世界三大音楽院のひとつで、創設以来150年以上にわたって世界トップクラスの演奏家を輩出し続けてきました。
チャイコフスキーが教鞭をとり、ラフマニノフとスクリャービンが学び、ネイガウスがリヒテルとギレリスを育てた——こうした師弟の連鎖が「ロシアピアニズム」と呼ばれる独自の奏法と哲学を形成してきました。リストやショパンの流れを受け継ぎながら、身体全体を使った合理的な奏法と深い音楽的解釈を両立するこのスタイルは、今も世界中のピアノ教育に影響を与えています。
モスクワ音楽院はまた、世界各国からの留学生にも門戸を開いてきた機関です。侵攻前の時点で85カ国・4,500名を超える留学生が卒業しており、日本人ピアニストの留学先としても長年人気を集めてきました。岡山県倉敷市の作陽大学には、モスクワ音楽院の正規カリキュラムを日本に移設した「MSCコース」が2000年に開設され、日本にいながらモスクワの教授から直接指導を受ける仕組みまで整えられていました。
「ロシアのスタインウェイが革命で消えた ピアノメーカー受難の歴史」
ロシアのピアノ教育を語るとき、ピアノメーカーの歴史を外すことはできません。
1841年、バイエルン出身のヤーコブ・ベッカーがサンクトペテルブルクにピアノ工場を創設します。ベッカーのピアノは音の豊かさと精密な鍵盤機構で高く評価され、リストやチャイコフスキー、ルビンシテイン兄弟も愛用したといいます。1878年のパリ万博にも出品されるほどの実力を持ち、「ロシアのスタインウェイ」と呼ばれるほどの名声を誇りました。
その後の歴史は、激動の一言に尽きます。
1917年のロシア革命によって、ベッカー工場は国有化されます。そして「赤い十月(Red October)」と改名され、ソ連時代の大量生産ラインへと転換されました。品質は一時大きく落ちましたが、戦後に立て直しが図られ、1958年のブリュッセル万博ではグランドピアノ「ロシア」がグランプリを受賞するまでに回復。ソ連の家庭や学校に広く普及した「国民のピアノ」として、何百万台もの楽器が作られました。
しかしペレストロイカ以降、国家の補助が薄れるにつれてロシアのピアノ産業は急速に衰退し、赤い十月は2004年に廃業します。現在、ロシアには実質的な国産ピアノメーカーがほぼ存在しません。かつては「ロシアのスタインウェイ」と称えられた工場が、革命と市場化の荒波に飲み込まれていった歴史は、中国の「双減政策後の失速」とはまた別の重さを持っています。
「開かれていた扉が閉まった ウクライナ侵攻後の孤立」
2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻は音楽の世界にも大きな波紋を広げました。
その象徴的な出来事が、チャイコフスキー国際コンクールの国際音楽コンクール世界連盟からの除名です。エリザベート王妃国際コンクール(ベルギー)、ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド)と並ぶ「世界三大コンクール」のひとつとして知られてきたこの大会が、「ロシア政府の資金提供を受けた宣伝道具」として連盟から排除されました。
2023年に開催された第17回では、欧米からの参加者が約8割減少。かつては世界中の若手演奏家が目指した登竜門が、急速にその権威を失いつつあります。
日本との交流も事実上途絶えています。侵攻前は日本人留学生がモスクワ音楽院で学ぶことが珍しくなく、倉敷のMSCコースでは2021年にディスクラビアを使ったリアルタイム遠隔レッスンも始まっていました。しかし日本外務省がロシア全土をレベル3(渡航中止勧告)に引き上げたことで、2022年以降のマスタークラスは全面中止に。YAMAHAをはじめとする日本・欧米のピアノメーカーのロシア市場へのアクセスも、制裁と撤退によって大幅に制限されています。
「閉鎖的な国」というイメージで語られがちなロシアですが、音楽教育の世界ではむしろ長年にわたって外に向けて開かれていました。その扉が政治的な理由で閉まりつつあるのが現在の状況です。
「日本のピアノ教室と何が違うのか 比較でわかること」
ここまでの内容を日本との比較という視点で整理してみます。
最も大きな違いは、音楽教育を「習い事」として位置づけるか「専門教育の一形態」として位置づけるかという根本的な違いです。日本では音楽は学校の授業でも扱われ、その上でピアノ教室に通うのが一般的ですが、ロシアでは学校に音楽の授業がない代わりに、国立の音楽学校という専門機関で徹底的に学びます。結果として、ロシアの音楽教育は「広く薄く」ではなく「一点集中で深く」という性格になっています。
ピアノメーカーについても対照的です。日本はヤマハとカワイという世界的なメーカーを持ち、今も国内外で安定した地位を保っています。ロシアにはかつて「ロシアのスタインウェイ」と称えられたベッカーがありましたが、革命と市場化の中で失われました。現在ロシアでは輸入ピアノか中古が主流とみられており、日本との差は大きいと言えます。
一方で共通点もあります。国を代表するような音楽教育機関(日本の国立音楽大学・東京藝術大学、ロシアのモスクワ音楽院)が演奏家の育成に大きな役割を果たしてきた点、そして政治や社会の変化が音楽教育に直接影響を与えてきた歴史を持つ点は、両国に共通しています。
ロシアのピアノ教育の強さは、国家が長年にわたって音楽専門教育に投資してきたことで積み上げられたものです。ただその土台が今、国際的な孤立によって揺らぎ始めているというのが、2020年代のロシアのリアルな姿かもしれません。
韓国の「量の多さ」、中国の「熱狂と失速」、そしてロシアの「歴史の重さと現在の孤立」——三カ国を並べてみると、ピアノという楽器が各国の社会・政治・経済とどれほど深く結びついているかが見えてきます。
次回は、ジャズとポップスが共存する多様な音楽文化を持つアメリカの事情を取り上げる予定です。
出典
- Wikipedia「ロシアの教育」
- Wikipedia「モスクワ音楽院」
- Wikipedia「チャイコフスキー国際コンクール」
- ピティナ「ロシアのピアノ教育から学べること」(2015年7月)
- ピティナ「肌で感じたロシア音楽教育の対話」(2021年10月)
- RussiAnnouncer「ロシアの音楽教育と音楽学校」(2019年)
- くらしき作陽大学「MSCコース」
- Classical Music “The Lost Pianos of Siberia”(2021年)
- World Piano News “New Book: The Lost Pianos of Siberia”(2022年)
- 朝日新聞「チャイコフスキー国際コンクール2023」(2023年6月)