韓国では、小学生の約8割がピアノを習っているといいます。日本の都市部でも、子どもの習い事としてピアノは常に上位にありますが、それでも都市部で10〜20%程度という日本の水準と比べると、韓国の数字はかなり異なります。
なぜここまで差が開くのでしょうか。月謝の違いなのか、教室の仕組みなのか、それとも文化そのものが違うのか。今回は韓国のピアノ教室事情を調査し、日本との比較から見えてくるものを整理してみました。
「小学生の8割がピアノを習う国——韓国という特殊な環境」
韓国の推定ピアノ学習者数は200万〜300万人とされており、全人口の約4〜6%にあたります。日本のピアノ学習者は約200万人(全人口の約1.6%)と言われているので、人口比で見ると韓国はおよそ3倍の水準になります。
さらに際立つのが、子どもの通学率です。韓国在住のピアノ教師の証言によれば、「ピアノを習っていない小学生の方が珍しい」という状況が実際にあるといいます。単なる印象ではなく、ソウルを中心とした都市部での実態として、複数の情報源でも同様に伝えられています。
なぜここまでの普及率になったのでしょうか。その背景には、韓国の強い「教育熱」と深く結びついた、特有の仕組みがあります。
「学習塾と同じ扱い——ハグォンというシステムの正体」
韓国でピアノを習う場合、多くの子どもが通うのは「학원(ハグォン)」と呼ばれる施設です。
ハグォンとは、韓国の私立学院・学習塾の総称で、英語・数学・科学などの受験対策から、ピアノ・水泳・美術などの習い事まで、同じ「ハグォン」という枠組みで運営されています。日本でいえば、学習塾・英会話スクール・音楽教室がすべて同じカテゴリに分類されているイメージに近いでしょうか。
子どもたちは放課後、複数のハグォンをはしごするのが日常的です。英語のハグォンの後にピアノのハグォンへ、というスケジュールが当たり前のように組まれています。この「放課後の受け皿」としての機能が、ピアノを特別な習い事ではなく「日課のひとつ」として定着させた背景にあると考えられます。
運営形態についても、日本とは異なる点があります。日本の個人ピアノ教室は先生の自宅やレンタルスタジオを使った少人数指導が中心ですが、韓国のピアノハグォンは複数台のピアノを並べた教室型が多く、先生一人で複数の生徒を同時に見る形式も一般的だといいます。
月謝の水準については、公的なデータが確認できませんでした。ソウル内でのピアノハグォンの費用は日本とほぼ同程度か、やや安い傾向があると複数の在住経験者が語っていますが、ただ、具体的な金額を裏付ける公的なデータは見つけられなかったので、この点は参考程度に留めておいてください。
「コンクールは競争ではなく日常——韓国式の発表文化」
日本でピアノコンクールといえば、相応の練習を積んだ生徒が挑む「ハレの舞台」というイメージが強いのではないでしょうか。参加費も数千円〜数万円かかるのが一般的で、出場自体がひとつのステータスになっています。
韓国は、様相が大きく異なります。
コンクールは年間を通じて頻繁に開催されており、参加費が無料、あるいは非常に低額に設定されているケースが多いといいます。また賞の数が多く、上手な子からまだ練習途中の子まで、幅広いレベルの生徒が参加できる設計になっているようです。
「練習の成果を発表する場」として機能しているのが、韓国式のコンクールと言えそうです。入賞の確率が高いため子どもたちも「出たい」という意欲を持ちやすく、保護者も気軽に申し込めます。
この仕組みは、日本の「ピティナ・ピアノステップ」(コンクール形式ではなく演奏を評価してもらう参加型イベント)に近い考え方かもしれません。実際に、韓国在住の日本人講師が「日本のコンクールはレベルが高すぎて参加できないが、ピティナステップはコンサート形式で気楽に出られるので気に入っている」と語るケースもあります。
頻度の多さ、参加のしやすさという点では、韓国のコンクール文化は日本よりも裾野が広いと言えるでしょう。
「国策で生まれたピアニストたち——チョ・ソンジンが育った土台」
韓国のピアノ教育が単なる「習い事文化」にとどまらない理由のひとつに、国家レベルの教育投資があります。
1990年、韓国政府(文化体育観光部)は国策として四年制の芸術専門大学の設立を検討し始め、1993年に「韓国芸術総合学校(K-Arts)」を開校しました。欧米に留学して現地で教え始めていた若手の実力派ピアニストたちを教授陣として迎え、国際水準のカリキュラムを一から構築したといいます。
この投資は、約20年後に明確な結果として現れました。
2015年、チョ・ソンジンがショパン国際ピアノコンクールで優勝しました。1927年から5年に一度開かれる、世界で最も権威あるピアノコンクールのひとつです。彼が培った音楽的土台の一部は、まさに1993年以降に整備された韓国の高等音楽教育システムが下支えしています。
その後も韓国人ピアニストの国際コンクール入賞が相次ぎ、「韓国は一躍世界のピアノ教育の中心に踊り出た」と評されるほどの変化が起きました(ピティナ note, 2021年)。
日本でも国際コンクール入賞者は存在しますが、国家が「音楽教育機関の整備」を政策として明示的に推進した歴史は、韓国ほど鮮明ではありません。この差が、世界舞台での実績の差として積み重なってきた側面は否定できないでしょう。
「それでもピアノを辞めていく——英語と数学という強敵」
約8割という小学生のピアノ通学率は、しかし維持されません。
Korea Herald(2014年)の報道によれば、音楽・芸術系のハグォンは2009年から2012年にかけて3.2%減少しており、子どもたちが音楽をやめていく時期は小学5〜6年生頃が多いとされています。英語や数学の塾に時間もお金も移行していくためです。
「英語のハグォンに通う時間が増えて、ピアノは辞めるしかなかった」——こうした声は珍しくないといいます。学校のカリキュラムと直接連動しない音楽は、受験競争が本格化する前に「削られる科目」になりやすいのです。
韓国の教育費に関する調査(2012年、韓国教育部)では、国民が私教育に費やした総額は19.4兆ウォン(当時レートで約1兆7,900億円相当)に上る一方、そのうち芸術・音楽関連の支出は前年比12.2%減という数字も出ています。英語・数学の支出が微減または増加する中、音楽が削られていく構図は、日本でも見覚えがある光景ではないでしょうか。
ピアノ熱に「賞味期限」がある点では、韓国も日本も、根本的な構造は似ているのかもしれません。
「日本のピアノ教室と何が違うのか——比較でわかること」
ここまでの内容を、日本との比較という視点で整理してみます。
普及率の差はまず明らかで、日本の都市部で10〜20%程度のところ、韓国は約80%という水準です。この差を生んでいる最大の要因は、ピアノを「個別の習い事」ではなく「放課後の日課」として組み込むハグォン文化にあると考えられます。
コンクール文化についても、韓国は「誰でも気軽に参加する発表の場」、日本は「準備を整えた生徒が挑む競技の場」という性格の違いがあります。どちらが良い悪いというより、ピアノとの付き合い方のスタンス自体が異なる、と言った方が正確かもしれません。
国家の関与という点では、韓国が1993年に芸術専門大学を国策として設立し、世界レベルの演奏家を輩出するシステムを意図的に構築したのに対し、日本の音楽教育は主に民間(大手楽器メーカーや私立音大)が担ってきた歴史があります。
一方で共通点もあります。ピアノが「子どもの情操教育」として親に支持されている点、受験競争が激化する年齢でやめる子が増える構造、そして国産の著名ピアノメーカーを持つ点(日本はヤマハ・カワイ、韓国はサミック・ヨンチャン)は、両国に共通しています。
普及率だけを見れば韓国は圧倒的ですが、それが「ピアノを楽しむ文化」の深さを直接意味するわけではありません。数の多さと、音楽との向き合い方の豊かさは、必ずしも比例しない——というのが、この比較から得られるひとつの示唆と言えそうです。
まとめにかえて
韓国のピアノ教室事情を一言で表すとすれば、「量は多く、競争も激しく、しかし賞味期限がある」というイメージに近いでしょうか。
小学生の8割が習うという数字の裏には、ハグォン文化という独自の仕組みと、国家が意図的に育てたエリート音楽教育の両方が存在しています。同時に、英語・数学優先という受験競争の論理に、ピアノが押し出されていく現実もあります。
日本のピアノ教室と比較したとき、「どちらが優れているか」という問いにあまり意味はないと思います。それよりも、「なぜそこまで違うのか」を知ることが、自分が(あるいは子どもが)ピアノとどう関わるかを考える材料になるのではないでしょうか。
次回は、世界最大のピアノ学習者数を誇る中国の事情を取り上げる予定です。
出典
- 山崎綾子ピアノ教室ブログ「世界で全く違うピアノ教室事情〜韓国とドイツの差!」(2020年11月)
- ピティナ・ピアノnote「十年ひと昔、韓国のピアノ高等教育事情」(2021年11月)
- Korea Herald “Once-thriving art, music institutes struggle”(2014年2月)
- Korea Herald “Rediscover your creative side”(2012年8月)
- piano.promo「世界のピアノ人口ランキング」
- Facts and Details “Hagwons and Private Education in South Korea”